国際貿易都市『神戸』に代表される都市部。 豊かな芸術・文化を有しています。豊かな芸術・文化を有しています。
前城と後城の二重構造「恒屋城」
自然の山塊の頂上部を削平し、土塁や空堀を築いた中世の山城である。
宝塚市内では数少ない城跡「小浜城」
小浜城跡は、本願寺の僧善秀が明応年間に建立した毫摂寺を中心とした寺内町として発展した集落と言われています。
播磨最大の山城「置塩城」
戦国期屈指の規模を誇る山城である置塩城は、播磨国守護であった赤松惣領家の城であった
芦屋の城山「鷹尾城」
芦屋市の高座の滝の近くにあります
三重堀切で遮断して先端を城域とした「下土井城」
宇喜多氏に属した岡氏代々の居城
西宮の城下町「越水城」
城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、その広さは南北約200m・東西約100mで小清水城あるいは腰水城といわれていました。ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地でした。
黒田官兵衛ゆかりの「妻鹿城」(国府山城址)
官兵衛が豊臣秀吉に姫路城を譲り、姫路を美しく見渡せるこの地に、父・職隆(もとたか)と居城
国の重要文化財「西宮砲台」
幕末の頃、黒船来襲に備えて勝海舟の指導のもとに築造されました
戦火の「富松(とまつ)城」
富松城は、伊丹城、大物城、越水城の中間地点にあり、境界防衛や連絡の城として攻防の要となり、たびたび戦火に見舞われている。長期にわたってここを本拠地とした城主はなく、戦乱のたびに入れ代わった戦歴がある。
大阪の西の守「尼崎城」
安土桃山時代の天正6年に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である
戦国争乱の時代の幕開け「枝吉城」
城を台地上に構え、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され、一時は地域の中心として賑わったということです。
西国街道の要衝「端谷城」
端谷城は、戦国時代以前における中世の山城の形態をとり、南側正面以外には容易に攻めがたい、まさに要害の城であります。