久下氏代々の居城「久下城」(くげじょう)

玉巻城ともよばれる

久下城(玉巻城とも)は、丹波の国人領主である久下氏が代々居城した城です。もともと武蔵国大里郡久下保に居住していた久下氏でしたが源頼朝が平氏追討の旗揚げを行った際手勢250騎を引きつれ、その軍功により領家職、ほか2カ荘を賜ったのが丹波との関わりの最初です。
室町時代は丹波守護代をつとめた久下氏でしたが、細川政元による「明応の政変」をきっかけに勢力を失い、戦国末期には黒井城の赤井氏に従属しており、1579年(天正7年)の明智光秀を中心とした丹波攻略によって落城しました。
現在城址には堀切などの遺構が確認できます。また山麓には久下氏の菩提寺である長慶院があります。

問合せ先 ひょうご観光本部

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