神子畑選鉱場跡

今も聞こえる東洋一の選鉱場の息遣い。

800年頃に鉱山として開拓された神子畑は15世紀頃から採鉱が盛んになり、その後、明治政府の管理から一時は皇室財産として宮内省の管轄にもなりました。明治29(1896)年に三菱へ払い下げられ、大正8(1919)年には大規模な選鉱場が建設されました。山を隔て6キロメートル離れた明延鉱山(養父市大屋町)から運ばれてきた鉱石をその比重や浮力を利用して亜鉛、銅、錫に選鉱。東洋一の生産高を誇りました。山の斜面を活かした巨大な建物がありましたが、現在は一部取り壊されています。

問合せ先 ひょうご観光本部

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