足利尊氏の感状に由来する“感状山城”

赤松氏が新田軍勢を50余日に渡り足留めしたことで足利尊氏により感状(感謝状)を与えられた城。

感状山城跡(かんじょうざんじょうせき)は、相生市矢野町瓜生(やのちょううりゅう)と矢野町森(やのちょうもり)にまたがる標高301mの感状山(かんじょうさん)の尾根上に築かれていました。規模が雄大で眺望がよく、人の手による破壊などもなく、石垣や建物跡・礎石、井戸跡などの遺構が比較的よく残されているといった点では、播磨地方の代表的な中世の山城の遺構です。
昭和60年度から3カ年をかけて行われた発掘調査の結果、多くの建物群が発見され、曲輪(くるわ)群の全貌が明らかにされました。現在の総石垣による曲輪の構えから考えると、当初からのものではなく、後世に手を加えたもので、戦国時代(1467年~1568年)にこの周辺を支配した宇喜多(うきた)氏の手によって改修されたものではないかという説もあります。

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