王地山陶器所

王地山陶器所は、王地山公園の西側、稲荷神社の赤い鳥居が並び立つ長い石段の右の谷間にある

王地山陶器所は、王地山公園の西側、稲荷神社の赤い鳥居が並び立つ長い石段の右の谷間にあり、上立町・本篠山バス停より徒歩約10分程。

王地山焼は、文政元年(1818)藩主青山忠裕が名工・欽古堂亀祐(きんこどうかめすけ)を京都から招いて指導させた藩窯です。
嘉永年間の最盛期には、幾多の気品に富んだ上手作を焼いています。
しかし、廃藩とその運命を共にし、明治2年(1869)廃窯となってしまいました。

明治以降、途切れたこの美しい陶器作りを再現したいという地元の人の願いが叶って、昭和63年(1988)に、発祥の地である王地山に「王地山陶器所」が作られ、再興されました。若い職人たちの手によって、新しい王地山焼が作られ販売されています。

王地山の特徴は、釉薬で分類すれば、青磁、染付、白磁、赤絵などが主流です。おそらく最も評価の高いものは、青磁の中にあります。
これは、欽古堂亀祐が青磁 の達人であったからです。王地山焼は、篠山藩お抱えのいわゆる藩窯であったため、一般に出回ることは少なく、江戸時代も製品の数はもともと少なかったよう です。まさしく、幻の陶磁器であることが一番大きな特徴といえます。

問合せ先 丹波篠山観光協会

HP