篠山藩校 振徳堂

この地方最初の教育施設で江戸時代(明和3年)創立

この地方最初の教育施設で江戸時代(明和3年)創立で、時の藩主青山忠高が大いに教育を重んじ、大阪の人関文平(名は世美)を聘して教師とし、篠山城外濠の西南隅に学舎を設けた。他の藩校とは異なり、藩士の子弟ばかりではなく庶民にも入学許可された。当時生徒の数は、男約300名、總べて無月謝であった。

版木を制作して教科書を出版し配布していた。この版木や教科書は今も青山歴史村に展示されている。
この青山家が教育を重んじたのは明治以降の鳳鳴義塾の創設や東京での尚志館創設へ受け継がれていく。

問合せ先 丹波篠山観光協会

HP