安宅監物秀興が築城した「炬口城」(たけのくちじょう)

戦国時代、淡路島を席巻した安宅八家衆の城の一つ

炬口城は、永正二年(1505)に安宅監物秀興が築城したと言われています。その後駿河守吉安が継ぎ、そしてその弟といわれる次郎三郎秀益が城主となりました。
この当時は淡路守護職細川氏を滅ぼした三好氏が淡路を制圧しており、安宅氏もその支配下となりました。やがて三好元長が四国に下向した大永八年(1528)に次郎三郎秀益は叛旗を翻しましたが、じきに蟇浦の蟇浦常利、浦壁の島田時儀らに攻められ、炬口城は落城しました。
炬口城跡は洲本市北側にあり、市内を見下ろす形になっており、標高96,4メートルの丘陵端部にあります。傾斜が非常にきつく、ところどころ崩落防止のためコンクリートでかためられていたり侵入できないようになっています。
神社の参道を上がっていくと、そこは宝暦七年(1758)頃、稲田氏の老臣本庄市兵衛氏の邸宅跡であったとする案内板が置かれています。

問合せ先 ひょうご観光本部

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