標高321mに遺された戦国時代の山城「有子山城」
本丸での出石町全体を一望できるパノラマは登城した人々に感動

この城は天正二年(1574)、それまで山名氏の本城であった此隅山城にかわって、山名祐豊により築城されました。その名は落城した「子盗」(此隅)の名を嫌って「有子」と命名したといいます。しかしわずか6年後の天正八年(1580)天下統一を狙う織田軍によって城は陥落。城主は因幡に出奔しました。その後城は織田系の城主の管理となりますが、江戸時代に入り、麓に出石城が築城され、有子山城は廃城となりました