戦国末期の縄張り「小谷城」
1441年「嘉吉の乱」で滅亡した赤松直操の居城跡。

小谷城の築城は赤松満祐の弟上原民部大輔祐政であったといわれています。嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱の際、山名宗全の軍勢を抗しきれずそのまま落城。やがて廃城となったと思われます。
小谷城は小谷の村の背後にそびえる城山の中にあり、登城口は陽松寺脇から登っていきます。標高二百メートルほどの城山ですが、結構急な傾斜でしんどい登城道です。遺構としては空掘と土塁がなかなかの保存状態で残っているのと、頂上部分にある郭跡が何段にも分かれていて、それを土塁と堀切で守られていました。
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