大阪の西の守「尼崎城」
安土桃山時代の天正6年に荒木村重が織田信長に反旗を翻した際、有岡城から逃げ込んだ先である

江戸時代初期、尼崎城は大坂の西の守りとして、三重の堀をもち甲子園球場の約3.5倍に相当する敷地に築かれました。沖からみると城全体が海に浮かんでいるように見え、「琴浦城」の名称で親しまれていました。
そんな尼崎城天守が約400年の時を越えて再建され、平成最後の年に一般公開となりました。
問合せ先 尼崎城
江戸時代初期、尼崎城は大坂の西の守りとして、三重の堀をもち甲子園球場の約3.5倍に相当する敷地に築かれました。沖からみると城全体が海に浮かんでいるように見え、「琴浦城」の名称で親しまれていました。
そんな尼崎城天守が約400年の時を越えて再建され、平成最後の年に一般公開となりました。
問合せ先 尼崎城