赤松氏家臣の居城「御着城」
当時の播磨では比較的大規模な城で三木城、英賀城と並んで播磨3大城郭のひとつ

茶臼山の上に築かれた城で茶臼山城、天川を堀の一部として利用していたことから天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。昭和五十二~四年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張りが行われた事が判明。現在、国道2号北側の本丸跡付近は姫路市役所東出張所・御国野公民館・御着城跡公園などになっている。
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