江戸時代末期の砲台跡「炬口台場」
洲本城城代である稲田氏が築城した台場

炬口台場は霞台場同様に、文久三年(1863)に徳島藩主の命により洲本城城代である稲田氏が築城した台場です。台場の形状は北東の海に面して石垣が組まれその上に盛土して胸墻としていました。砲座はあわせて6つあり、背後および側面には木柵を施しただけの簡素な作りでした。また、西側の水路を隔てて向いに位置する現在自動車教習所があるあたりには洋式錬兵場が作られていたと言われています。
炬口台場は、洲浜橋を渡って2つめの辻を左折、すぐに又左折、さらに右折、そして左折とくねくねと狭い路地をぬけ淡路水産センターに到着しますが、その敷地にあったのが炬口台場です。水産センターの建物の奥に2メートル強の土塁が見えますが、まさしくそれが台場の前面部になります。反対側にまわりこんで民家の畑からはしっかりと当時の石垣が残されているのがよくわかります。
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