山上に残る但馬最大規模の山城跡「此隅山城」
此隅山城は14世紀終わりごろ、山名時義が但馬守護であった時代に築城されたといわれています

此隅山城は山名時義が出石神社の北にある標高140mの此隅山に築いた城です。「応仁の乱」の際には此隅山城に山名の各領国から計2万6000騎の軍勢が集まり、山名持豊(宗全)はこの城から京都へ出陣しています。1569年(永禄12年)、山名祐豊のときに羽柴秀吉に攻められ落城し、祐豊はより高所にある有子山城に居城を移して廃城となりました。現在は有子山城とともに「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています
問合せ先:但馬國出石観光協会