織田軍の拠点「加古川城」(称名寺)
南北朝時代の7人の武者の七騎供養塔があります。
.jpg)
称名寺の付近一帯は加古川城跡です。加古川城は三木城を囲む前に、織田信忠が高砂城、神吉城、志方城を攻めるための拠点にしていました。 そのとき一緒に出陣していたのが、信忠の弟の織田信雄、信孝兄弟に、信長の弟の織田信包、それから細川藤孝、滝川一益、明智光秀、丹羽長秀、佐久間信盛といった重臣たちで、北陸攻めで動けなかった柴田勝家を除く織田軍のオールキャスト状態でした。 みんな加古川城を中心に集まっていたのですね。
境内には、七騎顕彰碑と呼ばれる供養塔があります。「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩冶判官のモデルとして取り上げられ、忠義話として紹介されました。
問合せ先 加古川観光協会